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買う暮らし

現代は、一人(少数)で暮らす事へのサービスが充実し、お金を支払って暮らしを買う事が当たり前になりました。特に、近所とのコミュニケーションの必要性があるわけではなく、お金があれば生活するのに事欠きません。(価値の交換に、想いの交流の必要がない)。結果に直結!必要か不要か、良いか悪いか。ただ、本当に想いのある商品は、自分の周りには実は少ない事を僕は感じています。
買う暮らしに慣れた人たちは、暮らしの作り方もわからず、お金をかけて解決しようと思います。
家族とも会話せず、コミュニケーションの必要もなく、事が進む。
家庭は、暮らしは、自分だけでは作れません。

作る暮らし

一昔前は、情報伝達ツールが限られていた事で、人との接触が必ず必要になりました。
ただ、その中にはお金に置き換わり、お互い様の精神で交換される、暮らしへの想いがあったと感じています。お互いの暮らしを支え合う想いがあってこその、コミュニティ。
その中には子供から大人、老人までに役割があり、多様な人の多様な活躍の場がありました。社会からはじかれる人も、孤独も少なかった。(この考えは、長久手のゴジカラ村さんの概念から学びました。)そういえば、本当に昔は、たとえ、村八分でも二分は交流が保たれたらしいです。

現代で、イメージだけで昔の暮らし(エコビレッジやトランジッションタウン?)を真似ようとしても、本質のお互い様の精神に慣れていないと、あまり長続きしないように思います。お互い様の精神の中には、暮らしへの想いのぶつかり合いが必ず含まれます。が、妥協点の模索もとても速やか。その想いの整理が、現代人は特に下手になってしまったのだと思います。

手前味噌を家族でつくる

味噌屋さんには迷惑な話ですが、ちょっとたとえとして使わせてください。味噌ひとつとっても、一般的な家庭なら、スーパーでお母さんがパッケージと値段と内容量をにらめっこして、買ってくる事が多いと思います。この場合、味噌購入に関して、お母さん以外に家族で関わる人はあまりいません。お金を払って味噌を買う場合、それに応じて発生する交流や摩擦は、せいぜい美味しいかどうか?でしょうか。

でも、味噌を自分の内で作ろう!となれば、お父さんとお母さんが話し合うじゃないですか。あるいは、お母さん同士の横のつながりネットワークが広がりますよね。これが多分大事。作るとなるとひとりでは出来ない。大豆で作るのか?塩は何がいいのか?麹はどこで買えるのか?そもそも作り方はどうするのか???なら、人に頼る、家族に頼る、動きが生じて交流が生まれる。
手前味噌自体も、自然な原料で作れば、僕はそんなに難しくないのかなと思っていますし、もし失敗しても、それも一緒に共有できるじゃないですか。

何もかも、暮らしを買うのではなく、すこしづつ、暮らしを作り始めてみてはいかがでしょうか?そのために、お金は極力大切に使ってください。自分の時間や想いが詰まったものです。

2017.08.09

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