赤の他人村と言う、市の問題点を考えていた時に、面白いコラムがあったなーと、思い出したので、メモがてらこちらに記録しておこうと思います。
赤の他人村と言うのは、暮らし方の縦割りだと考えていましたが、このコラムを読み解くと、その縦割りにも階層があるのかなと感じました。
ほんの100年ほど前の「ムラ社会」と言う中間集団が現代の社会保障を担った時代。血縁や地縁を基礎として、その地域で農業を中心としていた、暮らし方。
次に、高度経済成長期、企業が終身雇用、年功序列という手法を用いた「経営家族主義」が、ムラ社会から引き離された人びとに生活の安定と新たなつながりをもたらした。「日本型経営」と「性役割分業」が社会保障を担った。
バブル崩壊と共に、企業の経営体力も落ち、終身雇用が維持できなくなった。
現在の赤の他人村現象は、社会保障の保ち方の違いにあると考えられるって、解釈しました。昔の人は、持ちつ持たれつな暮らしに慣れている分、新しい集団やサービスが生まれても、選べる選択幅があるんだと思います。
現代人は、石田先生の話の中では、むきだしの個人(地域からも、企業からも離された個人)であり、私たちが結ぶ人間関係は、イギリスの社会学者アンソニー・ギデンズ(1938-)は「純粋な関係」と表したと書かれています。
僕たち、むきだしの個人世代は、社会保障は基本は自分でなんとかするものだと、感じていますが、ムラ社会に育った方達は、そもそもが多分違う。
実は、僕たちはそのムラ社会で行った社会保障を、ほんの少しだけでも学ぶことこそ、日々の暮らしや人間関係の築き方への変化を生み出せれるのかもと感じています。
今、社会問題のひとつとなっている、耕作放棄地。農業の担い手不足で、荒れた畑がわんさかあります。その解消・活用に、赤の他人村の解消・中間集団(仮)の形成に活用できる可能性があるのでは!と感じました。
これこそ、合同会社つむぎてでチャレンジするのが、とってもあっているなー。