そのお金を渡して受け取れるサービス(商品)は、その人の暮らしを想って生み出されたものでなければ、本来は対等な交換ではありません。
「お金稼ぎ」を目的としているサービスと「暮らし作り」を目的としている商品は、違うものだと思います。
本当に自分に必要なサービスを探し出し、暮らしの糧に出来れば、購入する側もされる側も、こんなにお互い豊かな事はありません。
単純に大量生産が悪だとは思いません。
そこには、戦後にモノがなかった時代に、多くのモノを生産できれば、きっとみんな喜ぶし、モノが売れる。と、感じたから。
たとえ、大量生産でも、そこには「モノがない時代に、多くの人に届ける」想いがあったから、成立すると考えています。
ただ、モノがあふれた時代に、いつまでも「理由なき大量生産」に頼るのは、お金稼ぎ目的の商品作りに慢心しているように感じます。
そのため、ごまかし手法が多く世にあるのはこのためではないかなーと感じます。国産に見えたら売れる(実際は違っても)とか、あまりよくない品質のモノをつかっても国産に見えたら良いとか。
企業努力、企業競争の方向性がずれているのに、政治が放ったらかしているように思います。政治家さんたち自身が、お金の価値や想いに鈍感だということが、そもそも間違っている。ムヒカ元大統領が月10万で暮らしたように、本質を見る目を持っていただきたいですね。
ゴールが違うのに、競うツール(お金)が同じなんだなーと感じます。
暮らしが豊かになる、そんな想いの先にある大量生産ならとても素敵な事だと思います。日本の製造技術の高さから、壊れない機械類は数多くあります。が、消費社会の波の中に埋もれ、多くのメーカーが不況に陥りました。僕は日本の技術力のコンセプトは長く使え、その人の暮らしに長く寄り添う持続性にこそ魅力を感じます。消費・買い替え前提の商品ではなく、ながく自分に寄り添ってくれるサービスが生まれてくれると、嬉しいです。
僕にとって日本の軽トラとか、スーパーカーですね。最高。めっちゃ欲しい。